儚く歪んだ、祈りの綺麗

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7.教会―境界


この季節、大陸の東は厚い雲に覆われることが多いのだが、今日は珍しくその雲も疎らで、青の空と薄い太陽が覗いている。優しく包む光の下では、白と黒、対照的な色合いをした少年と少女が人混みに紛れて立っていた。二人の視線の先には白い建物。華奢な黒い門を口にして、人々がするするとその中へ入って行く。

「これが、教会…?」
「そうだよ。シャハトは教会を見るの初めて?」
「ああ。そもそもイリスを出てるのはルクリアに行くためだったから。ルクリアの外は知らないんだ」

ルクリアの敷地内にあるのは聖堂か礼拝堂だけだ。

「何と言うか…想像していたよりも小さいんだな」

目の前にある白い建物はこじんまりとしていて、一見すると普通の家のように見える。ルクリアで比較的規模の大きな建物に囲まれていたことを差し引いても、小さい。これだけの人が入れるようには思えないのだが、人々の足は淀むことなく、次々と教会の中へ入って行く。

「ルクリアだとアルン=ケヒト大聖堂か。あそこは大きいもんね。フェリカはセレン礼拝堂よりちょっと大きいくらい?」
「恐らく、それくらいだと思うが。よく知ってるな」
「ミゼルにある教会と聖堂の規模や特徴は全部知ってるよ。礼拝堂は数が多いし、建設に規制や報告の義務がないから、流石に把握しきれてないけど。セレン礼拝堂はルクリアにあるから特別ね」

少し得意気に笑うリーラファイエにシャハトは目を丸くする。
神に対する依存はそのまま教会や聖堂の数に直結する。宗教の影響が強いミゼルにおいてその全てを把握するのは並の努力では不可能だ。が、聞けば過去のソリストはみんなそうだったと言う。

「ソリストは基本ローゼンベルクの大教会で歌うことが多いけど、他の教会で歌うこともあるの。ミゼルの教会は構造が特殊で、風が吹いただけでも旋律を持つでしょ?あれは内で響くのが原因なの。ソリストはその響きを利用して一人でも和音を作るんだけど、教会によって調が違うから、それをよく知らないで歌うと不協和音になっちゃう。そうならないために、ソリストは教会の“音”の特徴を覚えるの」

「教会に音があるのか?」
「うん。フェリカは結構素朴な感じ。暗くもないけど、明るくもないかな。歌う方としては合わせ易いし、華やかさはないけど、慎ましさというか控え目でお淑やか。こういう所で歌うときは高度な歌より、素直で単純な歌の方が合うんだ」

まあこんなの全部ソリストの感性で、つまり私が勝手に言ってるだけなんだけど。
言い終わった後でリーラファイエは少し照れたように付け足した。

「どうして音があるのかは、取りあえず中に入ってからにしようか。こんなにたくさんの人が入る理由も一緒に解るよ」

リーラファイエが前に出て、隣が空く。それを埋めるように吹いた風がシャハトの眉を顰めさせた。

――なんだ?

風に乗って嗅ぎ馴れた、けれど不自然な匂いがする。これは…

「シャハト?」

リーラファイエが相変わらず立ったまま動こうとしないシャハトをいぶかしんで振り返る。違和感が引いて行く。

――気の所為か?でもあれは…

「どうしたの?」

リーラファイエがシャハトのもとへ引き返そうとするが、人の流れが思いの外邪魔になったようでその場に留まる。リーラファイエは真白いから、人の中にいても埋もれてしまいはしない。
シャハトは辺りを軽く見渡す。特に変わった所はない。少し離れた所を川が流れていて、そこに架かった橋の上で誰かがバイオリンを弾いている。見えるのはそのくらいだ。再び頬を撫でた風は、ただ冬の匂いがしただけだった。

「どうしたの?」

シャハトがリーラファイエに追い付けば、リーラファイエは先程一度した質問を繰り返した。シャハトはそれに何でもないとだけ返す。リーラファイエは少し納得していないようだったが、深くは拘らなかった。

「はぐれたら探すの大変だからちゃんと付いて来てね」

数日前にレウィドコーネで人を置いて勝手に駆け出した人物とは思えないことを言う。そんなことを思ったが、シャハトはそれに短く承諾の返事を返しただけだった。リーラファイエはすでに数歩前にいる。

「待つことを知らないわけじゃないだろうに…なんというか、非効率的だな」

まあ、自分がさっさと追いついてしまえば済む話なので特に問題はないが。ただ人の返事くらい待っても良いんじゃないだろうか。


+*+



「どういう事だ…?」

開放された扉から飛び込んできた空間は、あり得ない広さだった。いや、規模としてはきっとルクリアの大聖堂の方が大きい。ただ、外観からはあり得ないのだ。フェリカはセレン礼拝堂よりも少し大きいくらいだ。つまり、普通の家と同じくらい。その中の一空間でしかないホールが、ルクリアの大教室と同じ大きさであれるはずがない。

「教会は“境界”だから」

怪訝そうに呟やかれたシャハトに問いに対して、リーラファイエは言葉遊びのような答えを返す。はじめは何の事だか解らなかったが、少しの思案の後、シャハトはリーラファイエの意味する所に思い至った。

この世界には3つの層が存在する。
神の住まう天上の<ケテル>、人々の生きる地上の<ミゼル>、そして天と地を繋ぐ境界<カルラ>。これらによって世界は構成されているのだが、通常は世界と言えばミゼルを指す。また、軽々しくその名を口にするのは不敬であるとして、多くの人はケテルとは呼ばずに、そのまま天界と呼ぶ。

遥か昔、神は自らの住む天界を元にして一つの世界を創った。神によっていくつか切り取られた天界の欠片は、互いに結びつき基盤を築く。その基盤の上に育った世界がミゼルであり、基盤を形成した欠片がカルラである。カルラは横に伸びると同時に上にも伸び、天界と地上を結んだ。その結果、天界と地上が入り混じる新たな層が出来た。

「天界と地上を結ぶということは、つまり、神と人とを結ぶということ。教会の役割は人々の信仰を促すことではあるけれど、もう一つ、その「繋がり」であるカルラを守ることでもあるの。特殊な設計方法によってミゼルとカルラの間に壁を造り、カルラが不必要にミゼルの干渉を受けないようにしたんだ」
「干渉を受けないのならば、そこに関係性は成立しない。ミゼルにある教会がカルラを制限することはない、ということか」
「そう。そしてカルラはそれぞれ細かく違うの。その違いの一つに空気振動があって、さっき教会によって調が違う、て言ってた理由がそれ」
「違いというのは簡単に解るものなのか?」
「分かるよ。明確に頭で理解することは出来ないかもしれないけど、感覚の上では全然違うから」
「…感覚でしか、判断出来ないのか?」
「んー、私は感覚を頼ってるから、それ以外は…。どうかしたの?」
「いや…」

魔術と方術の違いは力の源が違うという事だ。魔術は術者の中から、方術は術者の外からそれを取り入れる。そのため、魔術は方術に比べて術者の意志が届き易く展開が自由なのだが、その分「理解」が必要なのだ。世界の法則を完璧に理解し、頭の中でその法則に当て嵌めながら術式を構築する。そして、それを外へと昇華させる事でやっと魔術は成り立つのだ。それに対して方術は力の源が外にあるため、術者の意志というものが術に反映されないが、法則はあらかじめ術式に組み込まれているため「理解」を必要としない。外で完成された術式を感覚で掴んで展開する、それが方術である。
つまり、感覚が支配するカルラの中――教会の中では方術は使えても魔術は使えない。それはすなわち…

――万が一魔術師だとバレた時、逃げるのは難しい、という事か。

教会が魔術師にとって危険だという事は解っていたつもりだが、自分は甘かったかもしれない。ここまで魔術師に不向きな場所だとは思わなかった。それでも、ローゼンベルクに行くためには教会を辿るのが最良だ。人々に救いを与える教会が危険であるなど、本来あり得ない。魔術師だから教会を危険視しなければならないのだ。つまり、バレなければ何の問題もない。

「いや、何でもない。少し気になっただけだ」

自分が魔術師だと、バレなければいいのだ。




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