儚く歪んだ、祈りの綺麗

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6.それは、雪に似た…


息を吐けば、白く曇って、それから徐々に消えていく。

冷たい風が頬を撫でる。空気と接している箇所がひりひりと痛んだ。ちらりと見遣った空は、重い灰色。けれど、どんなに気温が下っても、空が沈んでも、雪が降る事はないのだ。



白い雪。
<雪雨>に似た、けれど全く異なる意味を持つ、白い、雪。
雨ではない、それは、雪。
人々の贖いを強いる雨と、その終わりを告げる、雪。
この世界の人々が望んで止まないもの――…



+*+


リーラファイエによるとレウィドコーネは旧巡礼地らしく、巡礼路自体は機能しているようであったので、それをそのまま利用している。ただ、まだまだ東の果てであるし、実際の巡礼は二人が今目指しているフェリカ教会から始まるので、人影は疎らだ。

シャハトは後ろを歩くリーラファイエに首を傾げていた。朝起きた時は相変わらず元気で楽しそうだったのに、少し前から様子がおかしい。何か考え込んでいるようにも見えるが、彼女がそうする理由が解らない。まあ、他人の思考というものはある程度奇怪で突然なものでもあるし、リーラファイエは特にそれが顕著なようだから、自分が全て予想出来るなんて事はないのだが。ただ、何となく――…

――不気味だ。

そんな事を考えていると突然、シャハト、と澄んだ声に名前を呼ばれる。考えていた事が考えていた事だったから、柄にもなく少し肩が跳ねてしまったかもしれない。結局の所リーラファイエは心臓に悪いなと、そう結論付けて、シャハトは歩みを止めて振り返る。声のした方に視線を向ければ、自分の少し後ろを歩くリーラファイエが目に入った。彼女は体の後ろで手を組んで、自身の足元に視線を落としている。

「なんだ?」

問えば、リーラファイエはんーと声を漏らした。言い淀むような仕草に、珍しいなと思いながらもシャハトは続きを静かに待つ。リーラファイエは視線を足元に落としたまま、大きく二、三歩歩くとシャハトの隣に並んだ。

「シャハトはさ、<雪雨>を見た事がある?」
「<雪雨>?」
「そう、<雪雨>」

雪の出来損ない。あの忌々しい、白い雨。
今度はリーラファイエの後ろをシャハトが歩く。彼はテンポ良く歩くリーラファイエの背中を見ながら、いや、と否定を口にした。

「実際に<雪雨>を見た事はないな」
「…見せてあげようか?」
「何?」
「正確には<雪雨>の降った所だけど、見せてあげようか?」

急にそんな事を言われても返事に困る。ただリーラファイエの様子から、こちらに訪ねてはいるものの、本当は彼女が見せたいのだろうと推測して肯定の返事を返した。リーラファイエは僅かに安心したように微笑むと、けれど次には呆れたように吐息を漏らした。

「シャハトは優しいね」

言われた当人は眉を寄せる。優しくした覚えはないし、そもそも自分の性格がその形容に相応しいものだとは思えない。
どういう意味だと問えば、そのまま、とだけ返って来る。

「シャハトは、優しいんだよ。じゃなかったら、お人好し」
「…貶してるのか?」

もしくは莫迦にしているか。少し不機嫌そうに問えば、まさか、という否定とともに小さく笑う声が返って来る。

「違うよ。ああ、そうだ。<雪雨>を見るなら少し巡礼路を離れないと。付いて来て」



+*+


冷たい、冬の匂いを孕んだ風が朝露を払うように通る。白い髪は揺れて、色素の薄い頬に触れた。肩に、腕。身体に纏わりつくそれが鬱陶しくて、一層の事切ってしまおうかとも思ったが、いろんな人に文句を言われそうだと思うと面倒で止めた。


白銀の髪に、黒い瞳。先天的に見えない左眼は白く濁って、もう一方の黒と相まって不完全なオッドアイを作っている。

会う人全てが褒めてくれる、自分の容姿。


その賞賛がどこから来るのかは解っている。白銀の髪と、白と黒のオッドアイは神の容姿を特徴づけるものだからだ。
あんな神と一緒にしないで欲しい。銀色の真っ直ぐな髪は父から、黒い瞳は母から譲り受けたものだ。決して、神から与えられたものではない。



あんな神と一緒にしないで欲しい。
意味の解らない“罰”で自分から母を奪った神と、
一緒になんか、しないで欲しい。



ひっそりと後ろを歩くシャハトを見遣れば、彼は空を見上げている。大して見る価値も見出せないような空を、彼は見上げている。

「前見て歩かないと危ないよ?」

声を掛ければ視線が降りて来る。冷たい夜空の、冴えた月のような瞳。同じ銀色であっても全く異なる白銀だ。静かで、凛として、そして少しだけ儚い。
彼は、それはお前も同じだ、とリーラファイエにも前を向く事を促した後、また空を見上げる。決して真上を向いている訳ではないが、その視線の先は間違いなく空だ。

「楽しい?」

余りにも熱心に見上げているものだから疑問に思って問えば、いや、とシャハトは否定する。

「別に楽しくはないが、ただ…」
「ただ?」

シャハトが立ち止まったので、リーラファイエも少し遅れて立ち止まる。シャハトの視線は空のある一点に向けられていた。

「あそこだけ、変じゃないか?」
「というと?」
「雲が動かない」

シャハトの視線の先をリーラファイエも見遣る。そして納得した。
今日は風が強いらしく空を覆う雲はある程度の速さで流れている。しかしある一点だけ、まるで時間が止まってしまったかのように雲が全く動いていないのだ。他の干渉を拒むそれにリーラファイエは薄く笑う。

「ああ、あれはね、あの下に、<雪雨>に降られた地があるの。あれは、<雪雨>を降らした雲」

ああやって土地を縛りつけてるの。あれは神様の雲だから。
口に乗せていた、彼女には不似合いな笑みを消し去って、リーラファイエはけれど憎々しげに呟く。シャハトは何か言おうと口を開いたが、それが音になる前にリーラファイエは大きく一歩踏み出す。

「来て。もうすぐだから」

歩く彼女の後ろを銀色の髪が追う。
シャハトは一つ息を吐いてそれに続いた。



+*+


視界に飛び込んで来た光景にシャハトは息を飲む。広がっていたのは寒気がするくらいの“純白”だった。

「ここね、昔は森だったんだ。や、森というよりかは林かな?結構小さかったし」

感情の乗らないリーラファイエの声が告げる。
森であれ林であれ、そう呼ばれるならばそこには木があるはずだ。けれどそこに木は一本としてない。あるのはただ真白い、純白の花。

「<誘いの女王(クラサヴィトゥーサ)>…」

女王が導くのはただただ安らかな眠り。少量であれば安眠効果が得られるが、多過ぎると永遠に目覚める事が出来ない。その美しさから天上の花と称えられるそれは、しかし紛れもなく<雪雨>によって齎されるあの花だった。

「確か真ん中に湖があったんだけど。流石に湖は消えてないと思うんだ」

相変わらず感情を削ぎ落としたような声色。リーラファイエは何の躊躇いもなく花の間を進んで行く。後に続けば、途端、甘い香りに包まれた。強い香りに一瞬不快感を感じたが、それはすぐに快いものに変わる。甘やかなそれに全て溶かされていくようで、意識がぼんやりとしてきた。
リーラファイエは何も感じないのかと、彼女の方を見遣ればこれといった変化は見られない。流石神に愛されているだけあって、例え天花であっても地上の花などには惑わされないようだ。
彼女は湖と言うには少し小さいそれの縁に座って、底を見下ろしている。

「ほら。木はみんな灰になっちゃったみたいだけど湖はあった。でもこの花、こんな所にも咲くんだね」

水底で揺れる白い花。屈み込んでいるリーラファイエの上からシャハトも水底を覗き込む。

「これはクラサヴィトゥーサじゃなくて、水中花だな」
「あれ、本当だ。ちょっと違うね」

クラサヴィトゥーサの五枚の花弁は一つ一つ離れているが、水中花の花弁は根本でくっついている所謂合弁花だ。ただ本来水中花の花弁は薄い青色で二つの花を見間違う事はないのだが、今水底に佇むその色はどれも真白だった。

「水を介して<雪雨>を取り込んだんだろう。<白花病>は空気に触れる事で風化が進むから、水の中で咲く水中花は<白花病>に罹っても灰にならなかったんじゃないか」
「じゃあ、この水の色はやっぱり<雪雨>の所為か」

リーラファイエは服の袖を捲ると手を伸ばして湖の水を掬う。彼女の腕を伝って零れる水は、濁ってはいないものの白っぽい。よく見るときらきらとした硝子の粉のようなものが舞っている。

「その粉…」
「うん、たぶん<白花病>に罹った木々の灰だと思う。いくつかは水の中に落ちてそのままになっちゃったみたいだね」

――せめて、クラサヴィトゥーサにだけでも、なれればよかったのにね…

リーラファイエは水を掬っては溢して行く。灰が光を受けて輝いていた。

「綺麗、だな」

何気なく呟けば、リーラファイエが首だけで振り返る。少しだけ意外そうな顔をするととすぐに視線を元へ戻した。それから曖昧に笑う。

「シャハトはやっぱり優しいね」

「普通はね、こんなの綺麗だなんて思えないんだよ。<白花病>の名残りの灰なんて、気持ち悪いくらいにしか思われない。せめてクラサヴィトゥーサにでもなれれば、その美しさが隠してくれるけど」

シャハトの視線が傍らの白い花に落ちる。花びらも茎も葉も全てが真白な花は、女王と呼ばれるに相応しい気位でそこに咲く。人々の称賛を受けても決して靡かない様が、感嘆を誘う。

「ここね、私が<雪雨>に会った所なんだ」

リーラファイエの手からきらきらと光る水が零れて行く。

「ここで私とお母さんは<雪雨>に会って、お母さんは死んじゃって、私は生きてて」

零れ落ちて行くそれは、けれどやはり綺麗だと思った。

「ここは、私の憎しみの原点になった」

リーラファイエが立ち上がる。振り返る。鮮やかな漆黒が問いかけた。

「あなたは、これをどう思う?」


――これ。
<雪雨>、<白花病>、クラサヴィトゥーサ、名残の灰、神様、罰、それから――憎しみ。

リーラファイエの言う「これ」がどれを指すのかは解らないし、もしかしたらその全てを指しているのかもしれない。でも――…

「それを聞いて、どうするんだ?」

リーラファイエの声に感情が籠らないのは、もう答えがあるからだ。

「俺が何を言っても、何を思っても、所詮は他人のものだ」

迷いがないなら、他人の意見なんていらない。

「肯定も否定も、リーラが思ったようにすればいいんじゃないか?」

それで生じた満足も後悔も、自分が責任を負うべきものだから。自分の決定は、例え怖くても、心細くても、他人に縋ってはいけない。


リーラファイエはにこりと微笑む。どこか満足したようなそれに、自分は試されていたのだろうかと思った。

「やっぱりシャハトは優しいね」

これは間違いないよ。
そう言ってリーラファイエは踵を返して湖を後にする。歩きながら、歌うような調子で告げた。

「私は<雪雨>も神様も認めない」

「私は、私の憎しみを肯定する」

だから、

「<雪雨>は止ませるし、神様は要らない」

言葉とは不釣り合いの、けれど彼女には良く似合った笑顔。リーラファイエは笑ってシャハトを呼ぶ。シャハト自身もこれ以上ここに留まっているとクラサヴィトゥーサの甘やかな香りに毒されそうだと湖を離れた。

二人を見送った湖は、光を受けてきらきらと輝いている。




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