儚く歪んだ、祈りの綺麗

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5.ソリスト


権威の象徴、加護の都。アスティール教の総本山にして教皇の座す所。一歩その街に足を踏み入れれば全ての罪が許される。

――それが、ローゼンベルク。


「いいんじゃないか」

「本当?!」

リーラファイエはテーブルに手をついて身を乗り出して来る。白っぽい銀色の髪がさらりと揺れて、光がその奥の漆黒の瞳を照らした。

「ああ。他に手掛かりもないし、アスティール教の中枢を担うローゼンベルク教会なら何か知っているかも知れない。当面の目的地としては妥当だと思う」

シャハトは立ち上がって備え付けられていた棚に向かう。引き出しを開ければ、部屋に入って初めに確認した通り地図があった。

「久し振りだな、ローゼンベルク。あ、これって里帰りて言うのかな」
「里帰り?」

リーラファイエの歌うような調子と引っ掛かりのある単語に、シャハトは首を捻って振り返った。

「うん、私ローゼンベルクの出身だから。教会で歌ってたの」
「教会って…ローゼンベルク大教会か?」

ローゼンベルクは教会都市だ。教会都市とはその名の通り教会の中に街が存在する。通常一つの街に複数の教会が存在するのだが、教会都市には当然一つしかない。ローゼンベルクで教会と言えば、それは教皇のいるローゼンベルク大教会を指すしかないのだ。

「そうだよ」
「そうだよって…」

それがどうかしたのかと言わんばかりのリーラファイエに言葉が続かない。それに何となく嫌な予感がする。

街で聞いたリーラファイエの歌は確かに上手かった。元々綺麗な澄んだ声をしている上に、かなり高い音を寸分のずれもなく出せる声域と音感がある。教会の歌い手としては申し分ないはずだ。
しかし、シャハトの「嫌な予感」はその上手さに働いている。
リーラファイエには他に類を見ないような声と歌唱力がある。つまり、他者との調和が難しい。

教会の歌い手には二つある。
一つは聖歌隊に所属している者の事。彼らが担う合唱は、他者と声を重ねる事で真価を発揮する。誰か一人が特出する事なく、全体のバランスを保って歌う事が重要視されるそれに、リーラファイエは不向きなような気がした。
となると予想されるのが、もう一つの歌い手。一人で歌い上げる独唱者、ソリストだ。ソリストは通常のミサには現れず、重要な行事のみ歌唱を担当する。というのも、ソリストの存在はひどく重要視されるからだ。なぜならソリストは、世界でたった一人、ローゼンベルクにたった一人しか存在しないのだから。

「一つ、訊きたい事がある」

訊かない方が、良いかもしれない。知らない方が良い事だって世の中には沢山ある。そう思っても、予想を否定できるかも知れないという一縷の望みにシャハトは懸けた…と言うよりは、縋った。

「歌っていたというのは、聖歌隊のメンバーとして…だよな?」

そうであって欲しいという願いを込めた問は、しかしリーラファイエによって無惨にも否定される。

「ううん。聖歌隊じゃなくてソリストの方」

私の声って合唱に向かないんだって。
暢気に笑うリーラファイエに眩暈がする。ソリストは世界でたった一人。歌を好むミゼルとアスティール教において、その存在は教皇に次いで尊まれるものだ。普段人前に姿を現す時は何人もの教会関係者が警護に付くと聞く。

そのソリストが今、目の前にいる。しかも一人で。

「お前、ちゃんと言って出て来たんだろうな…?」

これで無断だったら本気で自分の不運を呪おうと心に決めて恐る恐る問えば、肯定の返事が返って来て安心する。

「うん、お父さんには言って来たから大丈夫」

…否、若干不安だ。身内に言っただけで本当に大丈夫なのか。しかし、大丈夫でないと言われても困るので、シャハトは余分な部分は聞かなかった事にした。

「それじゃあ、後はどうやってローゼンベルクまで行くかだな。今俺たちがいるのは大陸の西、レウィドコーネだ。ローゼンベルクは大陸の東側だから、ここからローゼンベルクに行くには東南東に進むのが一番速い――が、これは止めた方が良い」
「どうして?」
「帝国領内を行く事になるからだ。ホルツシュタイン帝国は表面上教会に従っているが、現皇帝は教会の支配下にある今の状況を良く思っていない。教会からの離反を考えているという噂もある。お前はローゼンベルクの歌い手でしかもソリストだから利用される可能性がある。だから帝国領は避けて南東に進み、スコラの港から船で海を渡る方が良いだろうな」
「ふーん。それなら巡礼路を利用すれば良いよ」

リーラファイエは他人事のように呟いてから提案する。それから立ち上がって、地図の上に身を屈めた。ぱらぱらと落ちた長い真っ直ぐな髪を邪魔そうに後ろに払う。

「確かにローゼンベルクと帝国は仲が良いとは言えない」

見て、と言ってリーラファイエが白い指で地図を指す。その先は各地に点在する教会だ。

「その証拠に北のホルツシュタインには明らかに教会が少ない上に、規模がかなり小さい。それに比べて南は教会の支配が強いから数も多いし、ローゼンベルク周辺になれば大規模な教会都市が増える。アスティールの巡礼は教会を巡るものだから、教会だと私の身分が利用出来るし、たぶん良くして貰えるよ」

リーラファイエの提案はなるほどと思えるものだ。巡礼の終着点はローゼンベルク大教会と決まっている。それにリーラファイエの言う通り、彼女のソリストと言う地位は、他では危険を招くものかもしえないが、教会ないでは好都合だ。ただ…

「魔術師が巡礼か…」

複雑そうに呟いたシャハトに、滅多に出来ない経験だね、とリーラファイエは明るく笑った。




+*+



――滅多にというか普通はしないし、したくない。

正直に言うと教会は苦手だ。魔術師である自分が歓迎されない事は解り切っている。ローゼンベルクに行く事も抵抗がないと言えば嘘になった。
まあ、魔術師だとそう簡単に明かしてやる気もないし、こちらからそう言った行動を取らない限りばれたりはしないだろう。なんせ一般人に交じって学校に行けるくらいなのだから。
そう思って現状と今後を自分に納得させていると、不意に支えがなくなり、体が後ろに傾ぐ。

「――っ!」

支えがなくなったのは、今まで自分が頭を預けていたドアが開いたからだ。なんとか転倒は免れたシャハトが後ろを振り返るとドアノブに手をかけたリーラファイエが目に入る。

「そんなとこにいたら危ないよ?」
「確かにドアの傍で思案に耽っていた俺にも落ち度はあるが、部屋に入る前にはまずノックか何かするものだろう…」

リーラファイエは、そう言えば、と呟いてから、反省しているのかしていないのか解らない――が、恐らく後者だろう――笑顔で、ごめんね、と謝罪する。
シャハトは軽く息を吐いてから、部屋を出る。リーラファイエがどこか嬉しそうなのは気の所為ではないだろう。ローゼンベルクは彼女の故郷だ。それなら家族や親しい者もいるはずなのだから、嬉しそうなのも頷ける。



教会は苦手だ。
ローゼンベルクにも本音を言えば行きたくないのだと思う。
そもそも異端である魔術師が巡礼だなんて滑稽過ぎて笑えもしない。
けれど、彼女が余りにも嬉しそうだから、取りあえず、割切ってみようと思った。




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