「この世界を、救う?」
告げられた言葉が予想外過ぎて少年は少女に確認を取る。少女はそれに頷いて見せた。少女の方にも自分が突拍子もない事を言っているという自覚があるのか、問われれば答えるという今までの態度を改めて、自分から続ける。
「あなたは、<雪雨>を知ってる?」
<雪雨>というのは、イヴリースが神を裏切ってから降るようになったと言われる白い雨の事だ。雪に代わって降り出した、雪のような純白の雨。それは贖罪を請いて世界を、人々を侵す。その雨に降られた土地は全ての色を失い、後には白い花だけが残ると言う。<雪雨>の影響は人間にも及び、少しでも触れた者には絶対的な死を齎す。身体に少しずつ白い皹が入って行き、その細胞を壊すのだ。そして最後にはその身体を砂で作られた人形のように風化させてしまう。
その人間の灰となった亡骸が撒かれた地に、<雪雨>に侵された土地と同じ白い花が咲く事から、その病は<白花病>と呼ばれている。昔は然程大きな被害は出ておらず、<雪雨>の降る頻度も疎らだったらしいが、ここ十数年で<白花病>の犠牲者は急激に増え、<雪雨>はその勢力を増した。今、この世界に生きる殆どのものが<雪雨>と、それが齎す<白花病>に怯えている。知らない方が可笑しいというものだ。
「私は、その<雪雨>を止ませたいの。この世界から<白花病>を消したい」
それにはあなたが必要なの、と少女はまた繰り返す。言っている事は無茶苦茶だが、少女の瞳は真摯だった。
「どうして、そんなに<雪雨>を止ませたいんだ?」
少年は純粋に疑問に思って尋ねる。<雪雨>を止ませるなど不可能なのだ。それを少女は止ませたいと言う。不可能を可能にしたいと言うのだ。ただの思いつきではないだろう。
少女は一瞬だけ躊躇うと少年の問いに答えた。
「私は<雪雨>の影響を受けないから。<白花病>に罹らないから」
「何?」
「理由は知らない。でも本当なの。昔、私はお母さんと<雪雨>に降られた。お母さんは<白花病>に罹って死んでしまったけれど、私は何事もなく今も生きてる」
信じられなかった。この世界の全ての罪に贖う神の雨の影響を受けない存在があるなんて、思ってもみなかった。
等しく罰し、等しく許す。
それがこの世界の神たるアスティラの真実だったはずだ。それが違うと言うのなら、この世界は余りにも――…
「だから、私は<雪雨>を、<白花病>を消したい。そうすれば、この世界はまた平等に戻るから」
何かに縋るように、けれどたった一人で零れ落ちる彼女の言葉。それは切実で、
「私だけ違うの。違うのは、嫌。私だけは、嫌」
ただただ一途な、
「みんなと一緒が良い」
願い事。
幼い頃にはもう気付いていた。自分の違和、他人の視線、他人の思い。受け入れるのには時間が掛かったけれど、ちゃんと諦められた。諦めた。
けれど、この少女はまだ諦められないでいるのだ。必死で、抗おうとしている。その姿が眩しくて、少年は目を細める。自分の中が痛い。責められる。
全ての贖罪を免れた、神に愛された少女と、
全ての罪悪を撒いた、神に背いた自分。
立場は違うが、その思いを知っているから。自分の中が触発される。しがみ付いてまでして蓋をした感情が溢れそうになる。
―――大丈夫、解ってる。あれだけ必死で諦めたんだ。俺はそこまで弱くないはずだろう?
少年は深く、呼吸をする。湧き出る感情を押し込むように、深く、息を吸う。
でも、
彼女が抗うと言うのなら、その為に自分が必要だと言うのなら、
せめてもの贖いとして、助けたい。
例えそれが自身の為の慰めに過ぎないのだとしても――…
けれど、その前に確かめなければいけない事がある。この少女が、少年がなんであるかを知っているのかどうか、確かめなければいけない。少年の口はその事を問う為に開かれた。
「お前は、俺が何であるか知っているのか?」
何も知らずに聞けば、ただの不可解な問いに過ぎない。けれど、それを知るものにとっては言葉以上に重い問い。自身の存在を問う少年に、少女はゆっくりと唇を割る。
「知ってる。あなたの立場もその存在も」
少女の真黒な瞳が少年を捕らえる。
「それを承知した上で、私はあなたを必要だと言ってるの」
少年は、そうか、と小さく呟いて下を向く。自分の存在を知って、それでもなお求めてくれると言うのなら。
少年の月色の瞳が真っ直ぐに少女へと向けられる。
俺は、貴女に――…
「解った。お前の願いに俺がどう役立つのかは知らないが、お前が必要だと言うのなら協力する」
「有難う。私の名前はリーラ。リーラファイエ=アイレンベルク。あなたの力をお借りします」
言いながら、少女は少年へと手を差し出す。彼は、本当にゆっくりとその手を取った。
「魔術師の国・イリスが第二王子、シャハト=ルー=ウィルキールの名に掛けて、貴女の願いに従おう」
一つしかなかった歯車は、互いに出会い、軋みながらも回り始める。
束縛の自由にある少女が、そこから逃れる為に差し伸ばした手。
その手を取った、全てを退け、全てから追われた少年。
逃避と追放の果てに辿り着いた彼らの出会いは、これが初めてで、そして二度目。
神への信仰と崇拝が支配する世界で、その神の手を振り解いて救いを求めた手が互いに触れた。
これを運命と言うのなら、どうか―――…
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