それは世界が軋む音、崩壊を誘う旋律

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5.運命の呼ぶ声


少年は食堂を出てオルターと共に歩いていた。


少年は嫌だったのだが、オルターがどうせなら一緒に夕食を取ろうと半ば強制的に連れて行ったのだ。
食堂に着いた頃は、大半の生徒が帰寮直後と言う事もあり、食堂にいる人数はまだ少なかったが、暫くすると数が増えて来た。そうなればやはり気になるのは自分に向けられる奇異の目だ。噂を抜きにしても左眼を覆うこの黒い眼帯が目立つのだろうな、と少年は思う。医療用の眼帯に替えようかと思った事もあったのだが、そうすれば今度は自分が落ち着かなかったので諦めた。
向けられる奇異の目は自分と一緒にいるオルターにも同じなのだが、彼は気にしていないのか気付いていないのか、平然としている。この神経が羨ましいと思うが、自分も居心地が悪いくらいにしか思っていない事に気付いて、大差ないのかと少し複雑な気分になった。そもそも向けられてくる眼差しは、好奇心から来るものであり、意図的な悪意は感じられない。きっと自分から話してしまえば、なくなるのだろうとは思ったが、他人に自分の事を話すのは好きではない上に、余り軽々しく話せるようなものでもない。誰にも関わらず大人しくしていれば良い。


と、思うのに、どうして自分は今この青年と歩いているのだろう。答えは約束したからなのだが、その事実にさえ疑問が浮かぶ。それに昼の出来事が引き摺られて、未だに気分が悪い。少年はそれと解らない程度に眉を寄せた。
ふと、オルターが立ち止まる。どうかしたのか、と少年が数歩歩いた後に振り返れば、それはこっちの台詞だ、と心配そうに顔を覗き込まれる。

「お前さ、どうかしたのか?」

内心ぎくりとしたが、説明の仕様もないので顔には出さないで置く。否定の返事を返してから、どうしてそんな事を聞くのかと問えば、オルターは何となく、と返した。

「いや、何時も通り無表情なんだけど、何時もの無表情とちょっと違うと言うか。雰囲気がぴりぴりしてるのも同じなんだけど、そのぴりぴり感が違うと言うか」

何となく―――要するに勘なのだが、オルターの勘は良く当たる。それは単に微かな変化に敏感なだけかも知れないが、兎に角、何時も確信を突いて来るのだ。
再度否定すれば、オルターは気の所為かと呟いてまた歩き出す。少年はその後ろを付いて行きながら、オルターには聞こえないよう、ほっと息を吐いた。

窓の外では風が木々を揺らしている。




*+*

「―――つまり、司祭が使う方術は絶対神・アスティラが人間に貸し与えた力を利用して展開するが、魔術師が使う魔術はイブリースの血を引く者として自身の力で展開する。方術と魔術の最も大きな違いは、その展開に用いられる力が何処に属するかであり、その為――…て、おい、オルター!聞いてるのか?!」
「んー、聞いてるって。司祭が使うのが方術で、魔術師が使うのが魔術だろ?」
「違う。いや、違ってはいないが、兎に角、違う。そんな答え方では点数が貰えなくて、単位落とすぞ?」
「まあ、単位の一つや二つ…」
「お前、もう一つも落とせないとか言ってなかったか?」
「うーん…」


と言う、問答を彼是一時間続けている。始めは熱心に聴いていたオルターも少し時間が経つと、集中力が切れたのか、今ではもう半分寝てしまっているような状態で少年の話を聞いていた。少年は小さく溜息を吐いてから教科書とノートを引き寄せ、また夢の世界へと旅立ってしまったらしいオルターの手から、今にも零れ落ちそうなペンを取ると、範囲をまとめ始めた。終わると、ノートの端に、時間を見付けて覚えて置くように、と書いてノートを閉じる。最後に、もう完全寝入ってしまっているオルターに毛布を掛けてやってから、部屋を後にした。

廊下には誰もいない。試験前なので就寝時間は延ばしてあるが、皆、自分の部屋か先程までの少年のように知り合いの部屋にでもいるのだろう。冷たく静かな廊下を、少年は一人、自室へと向かって歩き出した。



風が窓を叩く音がする。木々の揺れは数時間前よりも大きくなっていた。雨でも降るのだろうか、と窓から外を眺めてみるが、空は雲に覆われてはいるものの雨が降る気配はない。雨でも降ってくれれば、少しはこの暗鬱とした気分もすっきりするのではないかと思ったのだが。誰かの口笛のような風の音だけが鳴っていた。


少年の思考は自然と昼間の出来事を追っていた。

聞こえる筈のない歌声と、絵画のような幻、そして―――痛み。

突然の事であの時は思い出せなかったが、自分はあの痛みを知っている。あれは確かに、自分に対する干渉への、身体の拒絶反応だった。
精神というものは外部の干渉を好まない。痛みの度合いは様々だが、自己防衛としての本能が身体に何らかの変調を齎す事で、その警告をするのだ。それが痛みであったり、吐き気や眩暈であったりする。
そうすると自分はあの時何らかの干渉を受けたのだ。その干渉というのは、恐らく、あの歌声と幻だろう。では、干渉して来たのは?
物には製作者の思念が残り、それが干渉として働く場合がある。特に教会や聖堂と言った所にそう言った現象は珍しくない。現に、アスティールの教会を訪れた者たちが、亡くなったはずの両親や友人の幻覚を見るなどは良くある話だ。しかし、その類は干渉能力が弱く、あそこまで鮮烈的に人の精神に入り込むなど出来ない。そうなると考えられるのは―――…

そこで少年は微かな違和を感じ、思考を止めた。先程までは絶えず聞こえていた風の音がしない。階下のホールにある、巨大な時計の振り子の音までもが、時間が止まってしまったかのように止んでいた。
自分の心臓の音がやけに近くで聞こえる。頭の中の警鐘が、避けられないと泣いていた。
少年はセレン礼拝堂の方へと視線を向ける。他の建物に埋もれて見えないが、確かにそこにある。異物を認識するような感覚で、少年はそれを見据えた。

少女の啜り泣きに似た歌声がする。自分を呼んで、誘う歌が聞こえる。



自分の中の何処かが、諦めたように、進めと言った気がした。


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