それは世界が軋む音、崩壊を誘う旋律

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4.少年(2)


「俺に勉強を教えて下さい!」

は?と疑問符を浮かべている少年に、オルターは顔を上げて点数が規定の半分にしか満たない事、このままでは留年してしまう事、それだけは絶対に阻止したい事を話した。
少年はあからさまに困った顔をして、解ったから取り敢えず立ってくれと言う。話はベンチに座ってからでも出来るだろう、と。オルターは躊躇ったが渋々少年に促されてベンチに腰掛ける。少年はオルターが座ったのを確認してから自分もその隣りに腰を下ろした。

「で、どうして俺なんだ?見れば解ると思うが俺は二回生だ。貴方は三回生だろう?」

ルクリアの制服には学年章が付いている。それを見れば態々本人に確認を取らなくても学年を知る事が出来るのだ。

「ああ、それは――」

と続けようとして、はたと止まる。何故この少年に頼もうと思ったのか自分でも解らなかったのだ。隣りでは少年が、それは?と首を傾げながら続きを待っている。そんな何気ない動作すら綺麗だなと感心している頭を振って、少年に向き直る。もう、これしかない。

「運命だ…!」

言った本人は何処か清々しそうだが、言われた少年は固まっている。そして、微かに後退ってオルターと距離を置いた。

「あの、大変失礼だが…その、貴方は…頭は大丈夫だろうか…?」

心配そうに、だが大真面目に尋ねてくる少年に、オルターは一瞬きょとんとしてから噴出した。
確かに行き成り運命だのなんだの言われれば頭が可笑しいと思われても仕方がない。オルター苦笑しながら、いいや、と答えた。

「成績はあれだが、頭の方は問題ない。ええと、そうだな。運命と言うか、何となく、だ」
「何となく?何となくで俺に話し掛けたのか?」

思いの外驚いたような声で返されて、今度はオルターが困惑する番だった。

「なんだ?何となくじゃお前に声を掛けちゃいけなかったのか?」
「いや、いけなくはないんだが…」

少年は極まり悪そうにオルターから一度目を逸らす。再び戻って来た瞳には微かな不安が揺れていた。

「貴方は、噂を知らないのか…?」

噂?と聞き返してから、オルターは自分の記憶を漁り始める。試験以外は平和で退屈な学内では良く噂話が持ち上がる。それは時には事実も混ざっているが大半は根も葉もないものばかりだった。要するに一種の娯楽なのだ。なのでオルターは日々の刺激にと噂話を聞く事はあっても固執する事はなかった。元々の記憶力も手伝って聞いた傍から抜けて行く。そんな他愛もない噂話の話題が、自分より更にそういう類には興味を持たなさそうなこの少年の口から出て来た事にオルターは少なからず驚いていた。
噂、噂と譫言のように呟きながら、オルターはやっとそれらしいものを発見した。

それは少し前に聞いた話。その時オルターは二回生で、友人と今度の後期試験対策に図書館に来ていた時の事だった。オルターが勉強に飽きて来た頃、同じように飽きたのだろうその友人が思い出したように一つの噂話をした。詳しくは覚えていないが、確か、一つ下の学年に魔術師がいるとか言う内容だったように思う。その魔術師は神様から世界中の美しいものに与えられるはずだった美を盗んだかのような美少年で、天界の裏切り者たるイヴリースにそっくりな容姿をしている、と。

<ミゼル>と呼ばれるこの世界は宗教によって統治されている。そしてその宗教のなかでも最も力を持っているとされるのがアスティール教であり、信者は総人口の約八割にまで及んでいる。アスティール教皇の命はどんな大国の王の命よりも重いとされる程だ。
そのアスティール教信者が忌み嫌うのが魔術師だ。
魔術師と言うのは職業ではない。数ある民族のうちの一つであり、かつて神に最も近いとされた裏切り者の天使・イヴリースの流れにあるとされる。彼らは決して他の民族と交わることなく、西にある島のような大陸で独自の文化を持っているのだとか。

その魔術師がなんでこんな所にいるのだと、その時友人と笑い合ったのを覚えている。
今目の前にいる少年はこの噂の事を言っているのだろうか。真摯な瞳の奥にそれと解らない程の不安が揺れている。


―――その魔術師は神様から世界中の美しいものに与えられるはずだった美を盗んだかのような美少年で、天界の裏切り者たるイヴリースにそっくりな容姿をしている―――


イヴリースは天界の長を裏切った黒髪銀眼の天使。
目の前の少年は黒髪銀眼の、眩暈がしそうな程の美少年。

オルターの中にすとんと答えが落ちた。

「まさか、あれ…お前の事なのか……?」

驚きを隠さずに問えば少年は気まずそうに、多分、と返す。
成る程、どんなに噂話などに興味がなかろうと、その噂の主役が自分なら流石に気になると言うものだ。自分だけが真実を知っている中である事ない事騒がれるのは余り良い気分ではないだろう。

「まあ…気にすんな!」
「は?!」
「お前、美人だからな。それで色々噂が持ち上がるんだろう」
「はぁ…」
「あ!でも、お前も悪い所があるぞ。お前、何処か人を寄せ付けない雰囲気があるから。もうちょっと社交的になれば、みんなもお前が魔術師なんかじゃないって解るって!」

少年が呆気にとられて碌に口を挟めないでいる間に、青年は勝手に自己完結してしまう。励ましてくれているのだろうが、行き成り過ぎて付いて行けない。それに、彼は誤解している。しかし、少年にそれを訂正する気はなかった。

「と言う訳で、俺がお前に社交性ってやつを教えてやるから、お前は俺に勉強を教えてくれ!」
「どう言う訳だ。俺はそんな事望んでいないし、勉強だって別の人に教えて貰えば良いだろう?態々俺に関わる必要が何処にある」

少年の口調は怒っていると言うよりは、ただ純粋に疑問に思っているようだった。まるで、自分に関わって来るなんて正気の沙汰じゃないと言わんばかりの。

「いや、だから、運命だって」

そんな少年の問いにオルターは先程と同じ答えを返す。どうやらオルターの中でこの運命説は肯定で根付いてしまったらしい。否定で受け止め、もう運命だのなんだのは終わった事だと思っていた少年は面食らい、そして一気に脱力した。何だかもうどうでも良くなってくる。彼が運命だと言うのなら、きっとそれが彼の運命なのだろう。それなら、彼に少しだけ付き合おうと思った。

「解った」
「へ?」
「教えるよ。代わりに教えてくれるんだろう、社交性?」
「マジ?」
「なんだ、不服なのか?それなら、別に…」
「いやいや、誰もそんな事言ってないから!じゃあ、これから宜しく!」
「ああ、宜しく」


何の変哲もない偶然を人は稀に運命と呼ぶ。それはその人にとっての運命で、その人以外には忘れられるはずの偶然。彼に出会った事で何かが変わるとは思えないけれど、生まれた時に見た歯車はまだ動かないけれど、もしもこれが許された出会いであるのなら。どうか――…



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