それは世界が軋む音、崩壊を誘う旋律

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3.少年(1)


少年は寮へと続く道を歩いていた。

ルクリア大学は全寮制である。
世界でも有数の名門校であり、家柄の良い者が多数集まるこの学校では、国境を跨いで来る者が少なくない。その為、生徒の安全と平等を期して全寮制と言う形をとるようになった。
少年も例外ではなく、当然寮に住んでいる。人との接触を余り好まない彼だったが、部屋は一人部屋であり風呂もついている。唯一、食事だけが食堂でとらなければならないが、それも時間を少しずらせばなんとかなった。まあ、部屋にキッチンが付いていた所で、今までそのような場所に足を踏み入れた事さえない彼に、自分で料理をしろと言われても不可能だったのだが。世界中のお坊ちゃんお嬢ちゃんにもそれは当て嵌まった。そういう事もあって食堂があるのだ。

帰寮時間が迫っているので、少年以外にも多くの者が帰路に着いている。その中でも少年が他に紛れる事はなかった。
特別、背が高いだとかそういう訳ではない。むしろ同じ年頃の少年たちに比べて彼は小柄な方だった。つまり、そういう視覚的なものではなくてもっと感覚的な―――そう、例えば雰囲気と言ったものが異なっていた。


―――砕けた硝子のような、繊細で硬質な存在感。


形容するならば正にそれだった。綺麗だが触れるのが躊躇われる。何処か対峙するに当たって緊張を伴う。そんな印象を、周りは彼に対して抱かずにはいられなかった。

よって多くの生徒は彼の事を敬遠しがちだった。が、何処にでも例外と言うのはあるもので。

黙々と歩いていた彼が、不意に前のめりに転びそうになる。肩に掛かる重みに振り返れば、にこにこと笑う、彼よりは少し年上の、少年と言うよりは青年と言った年頃の顔があった。
意識した訳ではなかったのだが、微かに眉間に寄ってしまった皺を人差し指で小突かれて、そんな嫌そうな顔するなよ、と苦笑された。事実、少年はこの青年が苦手だった。まず、周りから避けられている自分にも他と変わりなく接してくるこの精神が理解出来ない。しかし、同時に、その分け隔てのなさが自分の大好きな存在に似ている気がして、気を許してしまいそうになる。それが余計に青年に対する苦手意識に拍車を掛けていた。

青年の名前はオルター=ディンドルフ。

何ですか、と行き成り肩を組まれるのは迷惑だという意味も込めて問うと、自分でも驚く程愛想のない声が出た。オルターはさして気にした様子もなく、少年と肩を並べて歩き出す。帰宅ならぬ帰寮ラッシュなこの時間は通路で少し立ち止まるだけでも迷惑だ。心なしか歩調が速くなっている気がするが、気の所為だと思う事にした。他人の干渉で自分が乱されるのは嫌だったから。

ところで、お前今日の夜暇か?と隣りを歩くオルターが尋ねて来ると、暇ではないです、と間髪入れずに突き放した。何となく予想は付くのだ。

ルクリア大学は今、試験期間だ。

ルクリアには一年に二回、前期と後期に試験がある。卒業が絡むまで留年する事はないが、この年に二回、通常通りに行けば三年間で計六回の試験で定められた単位を取らなければ、卒業試験が受けられない。

このオルターと言う青年は成績が余りよろしくない。本人曰く、ルクリアに入れた事自体が奇跡らしい。
オルターは現在三回生だ。残された試験はあと二回。取得した単位は――規定の半分。中々厳しい事になっている。
このままでは留年する。いや、したところで大した問題はないのだが、出来ればしたくない。オルター=ディンドルフは今までになく――今までよりは必死だった。
どうしたものかと焦っていたその時に出会ったのがこの少年だ。
確か、学年を一つ上がって間もない頃だったように思う。学内にいくつかある中庭の、その中でも一番人目に付かない庭。正直、二年間学校に住んで来てこんな場所があるとは知らなかった。木で造られたベンチが一脚ある以外、何もない庭。花も木も、もちろん噴水なんてものもない。庭と言うよりは隙間と言った感じだった。その隙間に、彼はいた。

ベンチの端に腰掛けて、青と白の空を見上げていた。薄く伸びた青に煙のような雲が溶け込んだ、然程珍しくもない空。一瞬ちらりと見ればそこまでの。
一心に空を見上げていた少年はこちらに気付いたのか、青と白から目を逸らして視線を寄越す。その瞬間、オルターはその場に凍りついた。

一番初めに出て来たのが、在り得ないと言う意識。
次に、世界にはこんなに綺麗な人間がいるのかと思った。

首筋に沿って肩に触れるくらいの、全てを飲み込む漆黒の髪に不純物の一切を排除した白銀の瞳。柳の葉のような細く美しい眉に凛と通った鼻筋、細い輪郭。陶器を思わせる滑らかな肌は昼の不躾な陽光にさらすのが躊躇われるようだった。左眼を覆う眼帯が異質な存在感を放つが、それさえも少年の怜悧な美を引き立てているかのように見える。
この世のありとあらゆる美を集めて昇華させたような存在。神様でさえ嫉妬するのではないかと疑う程の美少年だった。

草の匂いを掃くように風が吹く。不意に少年の隣りから、白く薄っぺらいものが舞い上がりオルターの足元へと落ちた。拾い上げて見ればそれはどうやら少年の成績表のようだった。その内容にオルターは泣きたくなった。世界はみな平等だなんて誰が言ったのか。こんな身近なところに途轍もない不平等があるではないか。

オルターの手元にある、少年のものだと思われる成績表。中身はオルターにはどうやって取るのか想像すらつかない、俗に言う満点と呼ばれるもの。

思わず食い入るように見入っていると、四角い紙面の上に影が落ちた。顔を上げれば美麗な顔が間近にあって息を呑む。


「すまない、それは俺のなんだ。返して貰えないか?」


空気を震わせるその声は、まだ完全に声変わりし切っていないのだろう、少年特有の高さを残した、良く通るものだった。
外見が綺麗な人間は声まで綺麗なのかとずれた思考に浸っていると、少年が困ったような、怒ったような微妙な表情をする。それにはっとして成績表を差し出せば、少年は短く礼を言って受け取った。いや、正確には受け取ろうとした。

自分とは反対側の端を掴む青年の手が離れない。

意味が解らず少し強く成績表を引けば青年の手までもが付いてくる。一体何のつもりだ、と青年の方を見遣ると、予想外に真摯な瞳とかち合って思わず怯んだ。困惑ばかりが募って行く。
暫く互いに掴み合った成績表を挟んで対峙していると、徐に青年が口を開いた。そして、お前は何時もこの成績なのかと問うて来る。意味不明なのは相変わらずだが、取り敢えず肯定で返せば青年は更に予想外な行動に出た。

なんと、その場に土下座したのだ。

想定外の事態に若干引き気味になる。一体自分が何をしたと言うのだ。少なくとも初対面の相手に土下座されるような覚えはない。
取り敢えず青年を立たせようと、少年は肩膝を折って試みるが青年は一向に立ち上がる気配を見せない。少年が途方に暮れていると、青年が地面に向かって叫んだ。


「俺に勉強を教えて下さい!」


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