「ねぇ、とりあえずシ者と契約精霊の違いは分かったけど、シャハトにも契約精霊ているの?」
シャハトて魔術師だよね?
フェリカ教会を後にして、当初の予定通り巡礼路に沿いながらスコラの港を目指す道中、リーラファイエはシャハトにシ者と契約精霊について尋ねていた。教会に守られて育った彼女にとってシ者の存在は名前だけのものであったし、契約精霊に至っては魔術師固有のものである。興味本位と言えばそうなのかも知れないが、彼女にしては珍しく熱心に聞いていた。
「まあ、いるにはいるが…」
「見たい!見せて!」
シャハトはリーラファイエの勢いに気押されつつ思案気に瞳を彷徨わせる。そして一度リーラファイエに視線を戻すと、うっ、と言葉を詰まらせた。黒曜石のような黒の瞳だけでなく、普段は焦点を結ばない白の瞳までもが、きらきらと期待を含んで彼を見詰めていた。その瞳に押し切られるようにして、シャハトは息を吐き出す。
「……わかった」
「やったぁ!ありがとう!」
にこにこと嬉しそうに笑うリーラファイエに、シャハトはもう一度だけ溜息を吐くと、左の耳に手をやって、そこにあったピアスを外した。その仕草にリーラファイエは首を傾げる。
「あれ、シャハトてピアスしてたの?」
リーラファイエが気付かなかったのも無理はない。右手に乗せられたそれはとても小さなものだった。陽光を受けて透明に輝くそれは、どこかリーラファイエの髪に似た色を湛えている。
シャハトはピアスを乗せた右手をすっと持ち上げると、目を細めるようにしてそれを凝視する。透明なはずのピアスが一瞬その色を濃くしたように思われた時、手の上にあった……否、いたのは白い小さな竜だった。白竜はくありと欠伸をした後、黒い瞳でシャハト見て嬉しそうに目を細める。背伸びするように羽を伸ばし、そのまま小さく羽ばたいてシャハトの肩に乗ると、甘えるように頬ずりをした。シャハトはそれを邪険にはせず、むしろ普段よりかは幾分和らいだ表情で受け入れている。
「…まさか、アスディーヴ?」
「なんだ、知ってるのか」
リーラファイエは現れた白竜に目を丸くする。知っているもなにも、アスディーヴは――…
「…神の、御使い」
アスティールの神話にはいくつか竜が登場する。高い知能と力、そして誇りを持つ竜族だが、その中でも最も気高いとされたのが、神の御使い・アスディーヴだった。その証として彼らは他の竜とは違い、天使と同じ羽毛で覆われた柔らかな羽を持つ。目の前の白竜の背には白く煌めく純白の羽が伸びていた。
リーラファイエの呟きを聞いて、シャハトは少しばつの悪そうな顔をする。
「あー…まあ、その…いろいろ、あったんだ」
神の使いたるアスディーヴがどうして自分、神以外のものに仕えているのか。今から思えばとんでもない事をしたと思うが、あの頃はそんな事どうでも良かった。ただ単純に、感情のままに契約を結んだ。
言葉を濁し視線を逸らすシャハトに、リーラファイエはそれ以上問う事はせず、いつも通り「ふーん」と呟いて、白竜をみる。アスディーヴはシャハトの左肩から首の後ろを通って右肩へ、そこから更に今度は首の前を通って元の左肩へ戻ろうとしたのか、しかし途中で襟元に嵌まってしまった。もぞもぞと動くそれそれをシャハトがくすぐったそうにしながら、何をしているんだと助け出す。アスディーヴはふるふると首を振ってから乱れた羽を直し始めた。
「可愛い…」
その一連の動作を見ていたリーラファイエの口から思わず零れる。それを聞いたシャハトが、アスディーヴを乗せた右手をリーラファイエへと差し出した。リーラファイエはきょとんとそれを見詰めてから、シャハトへと視線をやる。その先に少しだけ口元を緩めた彼を認めて、どうやらアスディーヴを触らせてくれるようだと理解した。恐る恐る手を伸ばせば、アスディーヴは自分と良く似た瞳でリーラファイエを見詰める。それから主人であるシャハトを一度振り返ってから、漸くリーラファイエの手に乗った。その仕草が先程のリーラファイエと重なってシャハトは苦笑した。
リーラファイエがアスディーヴを乗せたまま両手を自分の目の高さにまで上げると、アスディーヴはじっと凝視してくる白と黒の瞳を同じように見返す。それから何を思ったのかリーラファイエの頭に飛び乗った。リーラファイエは空になった両手を下げる事もせず、目線を上に上げてアスディーヴの様子を伺う。それから視線を前に戻してシャハトにどういう事だと目だけで問うた。
「良かったな。気に入られたみたいじゃないか」
リーラファイエにはきっと見えていないのだろうが、アスディーヴはリーラファイエの頭の上で満足そうに寛いでいる。その様子がなんだか微笑ましくてシャハトは目を細めて笑った。本人は気付いていないのだろうが、シャハトは笑うと眉尻が少し下がる。彼の友人が「怜悧な」と表現したに相応しく、普段はどこか人を寄せ付けない、ともすれば冷たい印象を与えるシャハトの顔立ちだが、笑うと途端に柔らかくなる。
なんだか嬉しくなってリーラファイエはにんまりと笑う。「にっこり」ではなく「にんまり」なのは、その嬉しさを表現するのではなく噛みしめたいからだ。誰にも告げず内緒にして、自分だけのものにしたい。
「それにしても小さいねぇ」
止めていた歩みを再開させながらリーラファイエは呟く。頭の上に鎮座している白竜は、乗せていても対して不便を感じない程度には軽い。契約、というからには、お互いに何かしら利害関係の一致があったのだろうが、いくら神の御使いだとはいえ、こんな子竜では果たして役に立つのか。確かに申し分なく可愛いが、まさか癒しを求めてのみの契約ではないだろう。特にシャハトの性格では考えにくい。
そんなリーラファイエの考えを先に読みとったのは、シャハトよりも彼女の頭の上の白竜で、アスディーヴの僅かな重みが退いたかと思うと風が巻き上がる。ふわりと降りた羽に顔をあげれば、先程の白竜と良く似た目をした、けれど先程からは似ても似つかない大きさの白竜が、少し得意げに見下ろして来る。リーラファイエは呆けたようにそれを見上げていたが、隣で上がった悲鳴染みた声に我に返る。
「アスディーヴ!」
非難を多分に含んだ主人の声に、アスディーヴはびくりと体を震わせて元の大きさに戻ると、再びリーラファイエの頭に乗った。が、今度はその身を隠すようにリーラファイエの髪の中に埋もれている。お蔭でリーラファイエは鋭い眼差しを向ける白銀の瞳を真正面から受けることになったのだが、なるほど、美人が怒ると怖いというのは本当らしい。造形が整っているだけに迫力がある。
「誰かに見られたらどうするんだ!」
シャハトの言い分はもっともだ。確かにここは大きな街道から離れてはいるが、それでも人が通らない訳ではない。ミゼルで恐らく最も有名な竜の姿が目撃されれば、もしかしなくても大問題だろう。天上の神の御使いが地上にいる。その訳を辿れば当然行き着く先はシャハトであり、彼が魔術師であることも当然突き止められてしまう。思っていた以上の危険を冒していたことに気付いて、今更ながらリーラファイエは緊張するのが分かった。アスディーヴもそれを分かっているのだろう。リーラファイエの髪の中で小さく、謝罪するように鳴くのが分かった。
しかしシャハトは、何も言うことなく、踵を返して先を行ってしまう。ますます小さくなる白竜が可哀相に思えて、リーラファイエはシャハトを追い掛けると横に並んだ。
「シャハト、アスディーヴも反省してるんだから……」
許してあげて。
そう続くはずの言葉は、シャハトの顔を覗き込んだ途端どこかへ消えてしまった。きゅっと真ん中に寄った眉が何かに耐えているようで。
――後悔、してる…?
シャハトが怒るのは決して珍しいことではない。それはリーラファイエ自身が身をもって経験しているので間違いない。まあ、それは彼女が全面的に悪かったのだが。
とにかく、割と思い切りが良いというか、真直ぐな彼は、躊躇いなく怒る。そしてそれを後に引きずることなく、こちらが反省の色を少しでも見せれば、またいつも通りに接してくれる。そのシャハトが、先程のことをまだ、引きずっている。
――後悔というよりは、困惑しているのかもしれない。
怒りとは感情の一種だが、シャハトが怒るとき、そこにはいつも彼の意志が感じられる。感情というよりは、もっとしっかりしたもの。彼を形作る核のようなものをもとに、彼は怒る。だから彼の怒りは後を引かない。
けれど先程は、彼にとって「思わず」だったのだろう。予想外のことに対する焦りの感情から思わず怒鳴ってしまった。だから彼は今、起こった感情と事態に上手く収拾がつけられずに、困っている。
どうしようかと思案していると、頭の上の存在が動くのが分かった。リーラファイエの頭を離れた白竜は、許しを請うようにシャハトの隣を飛ぶ。その姿を視界の隅に捉えた途端、シャハトが困ったように笑った。アスディーヴに手を差し出して、怒鳴って悪かったな、と謝罪する。
アスディーヴはそれに一瞬きょとんとした表情を見せてから、嬉しそうに目を細めて鳴くと、シャハトの手を飛び越えて彼の頬に擦りよる。
その様子にリーラファイエは満足そうに微笑むと、仲良しさんだね、と声を掛ける。同時に振り向いた一人と一匹はお互いに顔を見合わせてから、肯定するように微笑んだ。
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