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リビストリアの海の見える通りにて

…2歳・男・野良猫


        
僕は猫です。
名前はまだありません。

………。
冗談です。少し憧れてたんです、あのフレーズ。それに名前もあります。チェルノと言うんですけど、最近知り合った方が付けてくださいました。

実は僕、今片想いをしてるんです。想い猫は白猫のビアンカさん。ビアンカと言うのはここより少し南の地方の言葉で『白』と言う意味だそうで、僕のチェルノはそれに因んだらしいです。北の国では『黒』を意味するんだとか。

で、ビアンカさんはその名前の意味する通りに真白で綺麗な方なんです。
いや、もう、なんていうんですかね?こう、そこにいるだけで場が華やぐというか、景色が薔薇色に見えるというか…。兎に角!その存在が輝いてるんですよ!!
しかもただ綺麗なだけじゃないんですよ?優雅なんです!そして嫌味がない。
大抵の飼い猫たちはそれだけで気取ってますからね。あー、やだやだ!

「何こんな天気の良い日に頭を抱えているんだい?」

僕が苦悩と苛立ちに頭を掻き毟っていると、暖かいを通り越して暑いくらいの太陽を遮る影が落ちる。それに伴って顔を上げれば、最近見知った、見慣れた顔。
太陽に透ける金の髪に七色の瞳。そこら辺の女性じゃ太刀打ち出来ないくらいに綺麗な顔をしているけど、性別は男。彼の性格が余りよろしくない事は出会ったその日に解ったけれど、嫌いじゃない。少なくともアフェクティート――この街で一番大きな家に飼われてて、事あるごとに僕たち野良猫をバカにする。しかも事もあろうか僕のビアンカさんに近づくんだ――よりはマシだ。

「“君の”ではないけれどね」

そうなんだよねー。僕がビアンカさんを好きなのは確かだけれど、向こうは好意を抱いてくれてる所か、僕の事を知っているのかさえ怪しい。

――て、

「なんで僕の頭の中が読めるんですか?!」

間違いなく、僕は今の思考を口には出していない。なのにこの人と言えば、何食わぬ顔で僕の考えを当ててしまった。
「言わなくたって、顔に書いてあるからね」
言われて僕は前足で顔を撫でる。何時ビアンカさんに会うか解らないから、身嗜みには気を付けてたはずなんだけどな。
必死で顔をがしがしやっていたら、上から溜息が降って来た。こんな天気の良い日に溜息なんて!

「バカかい、君は?」

心底呆れたようなその口調と言葉に、僕は勢い良く顔を上げる。それから地面を尻尾でたしたし叩いた。
「なんなんですか、いきなり!失礼にも程がありますよ!」
毛まで逆立てて怒る僕に、これは失礼、と相手は言葉だけの謝罪をする。もちろん、それでは治まるものも治まらないが、ここは我慢だと堪えた。
「顔に書いてある、というのは表情に出ている、という意味なのだが?」
一瞬何を言われたのか解らなかったが、理解した途端、もの凄い羞恥に襲われた。色が黒くて良かった。これで顔が赤くなんてなったりしたら、本当に居た堪れない。
「し、知ってますよ、そんなこと!」
慌てて否定はしてみるけれど、誤魔化し切れてないのは自分でも解る。それでも言ってしまうのだから仕方ない。
彼はというと、そんな事はどうでも良いと言わんばかりに、ふーん、と呟いて海を眺めている。瞳の色が真っ青だからよく解った。
その瞳の青を小さな白が横切る。けれど彼がその白い塊を目で追ったようで、青にまた白が浮かんだ。
「ねえ、あれって君の愛しいビアンカさんじゃないのかい?」
「ええ?!どこですか??」
大変恥ずかしいので、いちいちそんな言い方しなくても良いと思うのですが、今はそれどころじゃありません。だってビアンカさんを拝見できるチャンスなんですよ!

「君、そういうの何て言うか知ってるかい?ストーカーて言うんだよ」
「ち、違います!勝手に人…違うな。猫―おかしいか―僕を変態にしないで下さい!」

聞き捨てならない一言に、けれど一瞬どきりとしたのは内緒です。いえ、でも別にやましい気持ちはありませんし。だから決してそんなストーカーだなんて…にゃごにゃご…

「おっと、今度は君の恋敵の登場だ」

な ん で す と !?

「おのれ、アフェクティート!また性懲りもなくビアンカさんに近づいて!いい加減相手にされてないことに気付け」
「ふむ。まあ、ビアンカさんが相手にしてないのは本当だけれど、それは君も同じだな」

というか、君の場合、存在すら認識されていないんじゃないかい?

………。

…そうなんですよね。実は僕、ビアンカさんとお話ししたことないんですよ。いや、何度か試みてはみたのですよ?試みてはみたのですが、相手はあのビアンカさん。麗しすぎて固まっちゃうんです。ビアンカさんがお散歩でよく通る道でさりげなく待ってたりするんですけど、カッチコチに緊張しちゃって毎回直立不動でお見送りする日々ですよ。間違いなく風景に溶け込んでますね。猫なのに擬態能力があるなんてすごい!

…はあ。

「ああ、彼は今日もダメだったようだね。それにしても、ビアンカさんはなかなか手強い女性のようだ」
「なんてったって、ビアンカさんですからね!」
「君の論理性の欠片もない根拠は別として、気の強い女性というのも魅力的だね」
「ビアンカさんはその上お美しくもいらっしゃいますからね!」
「確かに、なかなかお目にかかれない美人さんだ」
「そうでしょう!きっと彼女は神様に愛された存在なのですよ!あの美しさは天からの賜り物としか思えない!!」
「そうか。じゃあ、ひとつ僕もアプローチしてこようか」
「そうですね…て、ええ?!」

な ん で す と !?(本日2回目)

「アプローチて…え?ちょっとそれ本気で言ってるんですか?だって彼女は猫で…」
「愛があれば種族なんて関係ないよ。全く野暮なことを言うんだから」

あ、すみません…じゃなくて!
そうこうしているうちに、彼はもうビアンカさんのもとまで行ってしまった。人好きするような笑顔で紳士的に声を掛けている。
ああ、でも、いろんな猫に言い寄られても靡かなかったビアンカさんだ。たとえ彼が俗に言うイケメンだったとしても、そんなことで彼女が靡くはずがない。そもそも彼女がそんな猫ならアフェクティートの努力はとっくに報われている(悔しいがアフェクティートは顔もいい)。
しかし、あろうことか彼女は彼に誘われるまま近くのベンチでおしゃべりを始めてしまった。なんということだ!僕のビアンカさんが!

僕は咄嗟に走り出そうとして、けれどすぐに思い止まった。
果たして僕が出て行ったところでどうなるというのだろう?今まで綿密に計画を練って話し掛けに行ったときでさえ、緊張のあまり石像と化してしまったチキンな僕だ。仮に衝動に駆られて二人の間に割り込んでみたところで、その後はいつものように固まって、愛しい彼女に情けない姿をさらすのが関の山というものだろう。それにあの性悪に僕が勝てるとも思えない。彼女に幻滅されるくらいなら、風景のままでいい。

僕は楽しそうに話す二人に背を向けて歩き出す。
さよなら、ビアンカさん。はじめましてすら言えなかった僕は、もしかしたら君と出会ったなんて言えないのかもしれないし、出会ってもないのにお別れの言葉なんておかしいのかもしれない。でも、言わせて欲しい。僕は君に出会えて幸せだった。君を一目見るだけで目の前が明るくなって、その日一日が「素敵な日」になるんだ。たとえ泥水の中に落っこちたり、近所の悪ガキに追いかけまわされたりした日でもね。
そう。ビアンカさん、君は僕の幸福なんだ。君が幸せなら僕も幸せだ。未熟な恋だったかもしれないけれど、僕は君を好きになったことを後悔したりしないよ。するとすれば…

あいつの毒牙から君を守れないこと。

あいつは、顔は良いけど性格が最悪なんだ!その容姿を無に帰すくらい!いや、むしろあの顔の良さは更に彼の性悪ぷりに拍車を掛けているのか?!そもそも人が想いを寄せているのを知っておきながら、その本人の目の前で彼女を落としにかかるとか、どんな根性してるんだ!悪魔か、あいつは!
だめだ。あんな人の風上にも置けないやつにビアンカさんを任せられない、任せちゃいけない。彼女に情けない姿をさらすのが何だって言うんだ。今更取り繕ったって僕のチキンぷりは変わらない。堂々とビビってこようじゃないか!明日から、頭の耳の間の毛を真っ赤に染めて来てやるよ!

いざ、尋常に勝負!

走り出した僕は勢いのままにティーレに跳びかかる。が、案の定あっさりと首根っこを掴まれて宙ぶらりんだ。ああ、我ながら情けない。
「へぇ?僕に跳びかかるなんていい度胸じゃないか」
彼の切れ長の目が楽しそうに笑む。いつも違う色を映すその瞳の色は、今は僕を映して黒い。そのまま吸い込まれて行きそうな気がする。
「うるさい!たとえ他の誰にやろうとも、お前にだけはやるもんか!」
なかなか勇ましい台詞なんじゃないかと思うが、実のところ尻尾はお腹にぴったりと張り付いてしまっている。ああ、いつもしなやかで優美な自慢の尻尾だが、今だけは君が憎いよ、マイ・テール。これじゃあ、ビビってるのが丸分かりだ。
「いや、今の台詞は全く勇ましくなんてないんだけど?君の心情を如実に表しているその尻尾よりも、余程情けない」

な ん で す と ?!(本日3回目)

「え?自分ではなかなかの自信作だったんですけど…」
台詞だけなら、正直カッコいいと思っていたので、その台詞をバカにされてうろたえる。彼は呆れたように呼気を吐き出す。
「君はチキンと言うよりもヘタレだね。鶏に謝るがいいよ」
あ、そうですか。どうやら僕の耳の間の毛は明日以降も黒いままのようです。たった今、僕にはその資格すらないことが判明しました。
腑に落ちないままでいる僕に、ティーレは再び溜息を吐いてビアンカさんに向き直る。そしてそのまま僕をビアンカさんに向けて突き出した。
「ねえ、ビアンカ。このヘタレで愚かな彼に説明してやってくれるかい?」
ビアンカさんは「分かったわ」と言うと、僕に向き直った。というか、何気に呼び捨てですか。そうですか。いつの間にそんなに仲良くなったんだ、羨ましい。
ティーレに首根っこを掴まれたままの僕は自然とビアンカさんに見上げられる形になる。ああ、僕は今なら死ねるかもしれない。可愛過ぎるよ、ビアンカさん。
「飛び込んで来たところまでは良かったのだけれど、その後の『たとえ他の誰にやろうとも』ていうのはね。そこは言わずに『ビアンカさんは僕のものだ!』くらい言ってくれたらカッコよかったのに」
言われてみれば、確かに…。なんで他人に取られることが前提なんだ。彼女の父親じゃああるまいし。というか、そのことに言われるまで気付けなかった僕って一体…。
「じゃあ、彼は不合格かい?」
自分のヘタレぷりに打ちひしがれている僕に止めを刺すかのような質問をティーレがビアンカさんに投げかける。彼は本当に悪魔だ。
「それがね、実は私、完璧な男より少し隙のある男の方が好きなの」
「おや、それじゃあ…」
「ええ、彼はアフェクティートみたいに気取ってないし、シャイなところも可愛いと思うわ」
「良かったじゃないか、チェルノ」
「え、え?」
悲しいかな。僕の小さなおつむはあまりのことに許容量オーバーで処理が間に合っていない。相変わらず宙づりにされたままの状態で僕は必至で頭を回転させた。
えーと、彼女は完璧じゃないやつが良くて、僕のちょっと情けないところも好意的に捉えてくれているらしい。先程の僕の勇ましいようでその実、情けない台詞も特に気にしてはいないようである。なにより、不合格かというティーレの質問を肯定しないということは…
「僕には、まだ望みがあるってことですか?!」
興奮のあまりお腹にくっついていた尻尾までぴーんと伸ばした僕に、ビアンカさんはふふっと笑って斜めに僕を見上げる。
「ええ、でも何事も過ぎるのは良くないわ。少しは男らしくはっきり言ってくれないと」
「えと、どうすれば?」
はっきり言ってくれと言われても、何をはっきり言ったらいいのか分からずに戸惑っていると、この短時間で三度目になるティーレの溜息が聞こえた。
「本当にバカだね、君は。君はビアンカと一体どうなりたいんだい?」
僕ははっとした。そうだ、彼女に言うことなんてあれしかないじゃないか!
ああ、でもいざ言うとなるともの凄く緊張する。というか、照れる。ああ、一体どうすれば!
「ねえ、ビアンカ。こんなのやめにして、やっぱり僕にしないかい?」
「それはだめ!」
僕はビアンカさんが何か答える前に否定する。全く油断も隙もないんだから!これ以上悩んでいると次は何を言い出すか分かったもんじゃない。ええい、言え!言うんだ、僕!長年の募る想いを今ここで!!

「ビアンカさん!僕はあなたが大好きです!僕と結婚してください!」

言った!言ったぞ、僕!

「あら、それはダメよ」

そしてフられたー!!
え?なんで?今の流れでフられる?普通!
「だって、私恋人という関係に興味があるんですもの。それを飛ばして結婚はできませんわ」
「え、じゃあ…」
「恋人から始めましょう?全てはそれから」
「!!」
感動のあまり僕は思わず後ろのティーレを振り返る。たとえ悪魔のような性悪でも、今の僕の感動を分かち合えるなら構うもんか!
「聞きました?!僕、ビアンカさんの彼氏になりました!」
「聞いてるに決まってるだろう。君は僕の手にぶら下がったまま告白したんだから」
はぅあ?!そう言えば、僕宙づりのまま告白してしまった。一世一代の大告白だったのに!
そのまま落ち込んでいると、そっと身体が下される。もっと早く下してくれとの非難を込めて彼を睨もうとすれば、伸びて来た綺麗な手に頭を撫でられて叶わなかった。
「まあ、少しばかり飛躍しすぎてはいたが、君らしい隙のある良い告白だったじゃないか」
褒められているのか貶されているのか分からない労いの言葉を寄越して、彼は、今度はビアンカさんの頬をするりと撫でる。
「ビアンカにも一応おめでとうかな?まあ、彼に飽きたら連絡を頂戴。君のためなら、どこにいても駆けつけるよ」
「ふふ、冗談。あなたが恋する女は私じゃないもの。安心して。私、結構彼のこと気に入ってるの」
「つれないねぇ」
まさかの彼女の大告白に僕が毛皮の下で赤面している間に、彼の手がひらりと揺れる。
「それじゃあ、お二人さん。末永くお幸せに」

そのまま振り返らずに彼は少し先の角を曲がって消えた。彼が現れたのは突然だったけれど、いなくなるのも一瞬だった。まるで初めからいなかったかのように、するりと消えた彼は本当に愛想がない。性格はお世辞にも良いとは言えないし、最後の最後まで僕の愛しいビアンカさんを口説いて行ったけど、きっと彼がいなければ僕がビアンカさんに想いを告げることはなかっただろう。今度会うときは、僕とビアンカさんの子供が見せれたらいいな。


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